2017年6月25日日曜日

トルストイの印度寓話01『蛇の頭と尻尾』

トルストイ少年少女読本 [3] 子どもの智恵 米川正夫 訳 河出書房 1946 昭和21年

トルストイの印度寓話01『蛇の頭と尻尾』 
(トルストイのアーズブカ092『蛇の頭としっぽ』 )
 蛇の尻尾と頭が、どちらを先にして歩くかといふので、口論を始めました。頭が言ふには、『お前は先に立つて歩くことは出来ない---お前には目も耳もな いんだから。』すると尻尾は言ひました。『その代りわたしには力がある。わたしはお前を動かしてるぢやないか。もしわたしがその気になつて巻きついたら、 お前はちよつとも動くことができないだらう。』『それぢや別かれよう!』と頭は言ひました。
 そこで尻尾は頭から離れて、前の方へはひ出しました。けれど頭と別かれて、ほんのちよつとはひ出したかと思ふと、大地の裂け目へ落ち込んで、見えなくな つてしまひました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169127/7

露国民衆文学全書 第三編 ろしあ童話集  昇曙夢(のぼりしょうむ) 大倉書店 1919 大正8年
ろしあ童話集トルストイ物語01『蛇の頭と尻尾』

春陽堂少年文庫 トルストイ童話集 昇曙夢(のぼりしょうむ) 1932 昭和7年
トルストイ童話集童話篇01『蛇の頭と尻尾』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168514/7

The Complete Works of Count Tolstoy Volume XII.
Fables for Children 1869-1872
by Count Lev N. Tolstoy
Translated from the Original Russian and edited by Leo Wiener
Assistant Professor of Slavic Langauages at Harvard University
Boston Dana Estes & Company Publishers
II. ADAPTATIONS AND IMITATIONS OF HINDOO FABLES

1. The Snake's Head And Tail
 The Snake's Tail had a quarrel with the Snake's Head
about who was to walk in front. The Head said:
 " You cannot walk in front, because you have no eyes and no ears."
 The Tail said:
 " Yes, but I have strength, I move you ; if I want to, I
can wind myself around a tree, and you cannot get off the spot."
 The Head said:
 " Let us separate ! "
 And the Tail tore himself loose from the Head, and
crept on ; but the moment he got away from the Head, he
fell into a hole and was lost.
https://archive.org/stream/completeworksofc12tols?ui=embed#page/18/mode/2up


二十世紀少年新節用 教育講究会 編 山本文友堂 1910 明治42年

  はしがき
 まだ小学校の門に通うて居(い)られる少年諸君のためにと思つて、何よりも先づ、目を楽しましめる絵画(え)を本位(もと)として、兎も角、この一冊を こしらえあげました。
 修身から始めて、国語、算術、理科、地理、歴史と、総てを成るべく小学校の教科に準拠(たよつ)て、その範囲(しきり)から外れないようにと、現在、教 育 の道にたづさわつて居(い)られる人にも、疑わしいことろわ問合せて、随分の苦心を重ねたこともないでわありません。
 著者わ凡てゞ六人、しかし、文章の調子、それが離れ/゛\になつてわ、読む人も読み憎くかろうと、一人で筆を取ることにしました。
 仮名づかい、それも今わ、まだ確固(たしか)に定(きま)つて居ませんから、総てをお伽噺の大家巌谷小波(いわやさざなみ)氏が近頃使つて居(い)られ る仮名遣に従いました、まだ年のいかない人達にわ、それの方が読み易いと思いましたから。
 前にも云いました通り、絵画(え)を本位(もと)にした此の書物わ、どのページにも絵画(え)を入れるつもりで、著者わ夫れ/゛\苦心しました。所が、 画工えの注意が足りなかつたため、著者が最初(はじめ)に思つて居たよりも、絵画が全体に大きくなり、それで、絵画と本文(ほんもん)とが、うまく出合つ て居ないところが出来たり、やむなく絵画のないページも出来ました。それわ実に残念ですが、今更ら致し方がないと、あきらめて居ます。
  いぬのとし正月
 著者の一人しるす   

二十世紀新節用童話01『蛇と頭』
『乃公(をれ)が先へ行く』と蛇の頭が云う、『イヤ己(おれ)が先だ』と蛇の尻尾が怒る、頭が云うにわ『コレヤ尻尾君、君が先え行こうたつて無理じや、君 わ耳も眼もないじやないか』。
蛇の挿絵
 斯(こ)う云われて、尻尾わ腹を立て『ナニ力がない癖に、エラそうに云うな。乃公(おれ)が木にでも巻きついた日んにや、貴様、一寸(ちよつと)も動か れないぢやないか』、『よし、そんなら別れ/\になろう』。
そこで尻尾わ頭に分れ、そろ/\這うて往(いつ)たが、何しろ肝心な耳と目がないから堪りません、直ぐ崖から落ちて、そのまゝ死で了(しま)いましたそ うです。
 これわ無闇な勝手を言張らぬものと云う譬喩(たとえ)を童話(はなし)にしたものであります。
蛇の挿絵


仏典

昭和新纂 国訳大蔵経 経典部 第二巻 東方書院
百喩経03.13(54)『蛇頭尾共争在前喩』
蛇の頭尾共に前に在りと争ふの喩
 譬へば蛇有るが如し。尾、頭に語つて言はく、『我応(まさ)に前に在るべし。』頭、尾に語つて言はく、『我恒に前に在り、何を以て卒(にはか)に爾(し か)るや。』頭果して前に在れば其尾樹に纏うて去ることを得(う)ること能はず。尾を放つて前へ在るに即ち火坑(くわきやう)に堕して焼爛(せうらん)し て死せり。
 師徒弟子も亦復是(かく)の如し。言はく、『師、耆老(ぎろう)なれば毎恒(つね)に前に在るも、我諸(もろ/\)の年少も応(まさ)に道首(だうし ゆ)と為るべし。』と。是の如きの年少の戒律も閑(なら)はず、多く初犯(しよぼん)有り、因つて即ち相検(あひもと)めて地獄に入る。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172018/157

昭和新纂 国訳大蔵経 経典部 第二巻 東方書院
雑譬喩経25『蛇頭尾共諍喩』
 昔、一蛇有り、頭尾自ら相与(あひとも)に争ふ。頭、尾に語りて曰はく、『我応(まさ)に大と為すべし。』尾、頭に語りて曰はく、『我亦応に大なるべ し。』頭 曰はく、『我に耳有りて能く聴き、目有りて能く視、口有りて能く食ふ。行く時は最も前に在り。是故(このゆゑ)に大と為すべし。汝に此術無けれ ば、応(まさ)に大と為すべからず。』と。尾曰はく、『我、汝をして去らしむ。故に去るを得たるのみ。若し我身を以て木を遶(めぐ)ること三匝(そふ)せ ん。』三日にして已(や)まざりしかば、頭遂に去りて食を求むることを得ず、飢餓して死するに垂(なん/\)たり。頭、尾に語りて曰はく、『汝、之を放つ べし。汝を聴(ゆる)して大と為さん。』尾其言を聞いて即時に之を放つ。復尾に語りて曰はく、『汝既に大たり、汝の前に在りて行くを聴さん。』と。尾、前 い在りて行くに未だ数歩を経ざるに火坑(くわきやう)に堕ちて死せり。此れは僧の中に、或は聡明大徳の上座有りて能く法律を断じ、下に小なる者有りて肯 (あへ)て従順ならず、上座の力制すること能はずして、便(すなは)ち之に語りて、『欲すること爾(なんぢ)が意に随へ。』と言ひて、事済(ことさい)を 成さず倶(とも)に非法に堕するを喩へて、彼蛇の火坑に堕つるが若(ごと)きに喩ふるなり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172018/188

世界文学大系 4 インド集 筑摩書房
カーター・サリット・サーガラ 愚者物語 岩本裕 訳
インド愚者物語43『二つの頭のある蛇の話』

ラ・フォンテーヌ 寓話 今野一雄 訳 岩波文庫
Laf07.16『ヘビの頭と尾』
(ラ・フォンテーヌの話は、イソップからの可能性もある。)

花月草紙 松平定信 
両頭のくちなわ
むかし両頭のくちなはありしときけばとて、くちなはのおなじほどなるをとらへて、二つの尾をしかとゆひて、はなれざるやうにして、庭へはなしたり。一つは南のかたの草むらさしてゆかんとすれば、一つは北のかたの林へいらんとし、とみにゆかんとのみして、一つところにのみ居けり。たはふれにおり立ちておどろかすれば、いよ/\いどみあひて、一つの所におどりゐけり。いかゞすらんとをり/\みたるが、三日計りへて、二つのくちなはやはらぎてこゝろをともにあはせ、尾のかたをなはのごとくにして、頭を二つなれべて行くにぞ、つねのよりははるかにすみやかにはひ行きかり。
 げに人もこゝろのひとつなれば、目も耳もこゝろにしたがひて見きゝし、手あしも一つ心なればこそかゝりけれ。もし一つ/\の心ならば、右の手は左を凌 ぎ、左は右をそねみ、手してとらんとすれば、足はよそへ行き、左は左にゆかんとすれば、右は右へゆかんとして、一つもひとの事たることはあらじかし。
 さるにいにしへより国のつかさたるものら、あるはそねみにくみ、又はかたみにしのぎなどして、たゞにわが威をふらんとするは、何の心にかあらん。国家の ことをよそにして、只わが身あることをのみ心とするにや。かくては乱れざる国はあらじを、わがみにのみかゝづらひて、そのことをおもはぬは、たとひ何の才 (ざえ)あり、何の力あるものとても、何かはせん。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/888900/115

三才図絵稚講釈[山東京伝] 『心は人間のからだの内の大将軍』
心といふものは人間のからだの内の大しやうぐんなる
手あしはすなはち士そつなり/ 心の大しやうくんのけじあしけれは
あし手の士卒よくはたらかす/ てはみだりにうごき
あしはわがまゝにはしり/ 目はうつくしきものにみとれ
口はうまきものになづみ/ 耳はうたじやうるりにおこたり
はなはきやらぢんかうにまよふ/ これみな心の大将のゆだんなり
心の大将ゆだんせす/ かうべに正しきかぶとをいただき
身に明徳のよろひをかため/ こしにゐんとくのたちをはき
心の馬にうちのりて/ じひのさいをうちふり
足(たる)を知る下知をなし/ けんやくりかんのたてをつき
ふせぎたゝかふ財は/ 手あしのしそつにあやまちなく
五たいわごうして/ 丁やう身にたのしみある事
みな一心によるぞかし/ されば大せつなるは心のおさめ也

もろこしにも/ 臣軌(しき)同体章(だうたいのしやう)といふて
君臣とかうべを手足(しゆそく)にたとへたる本あり
股肱耳目(ここうじもく)の臣といふも
もゝとひぢとみゝとめにけらいをたとへたることば也

心のこまは心神将軍(しん/\しやうぐん)ののる馬なり
かならずたづなをゆるすべからず
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_00871/index.html
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_00871/he13_00871_p0010.jpg


イソップ寓話

Aesop's Fables. Illustrated by Ernest Griset. 
With Text Based Chiefly Upon Croxall, La Fontaine,
And L'Estrange. Casssel, Petter, Galpin & Co. London, Paris & New York.

Ernest Griset 230 『蛇の尻尾』
  ある日のこと、蛇の尻尾が頭に背いてこう言った。あらゆる動物で行われていることだが、いつでも一方の末尾が行く先を決め、否が応でも、もう一方を 引っ張って行くというのは大いなる誤りであると。頭は、尻尾には脳味噌も目もないので、他を導くことなどどうしたってできっこないと説得したが無駄であっ た。頭は尻尾のしつこさにうんざりして、ある日の事、舵取りを尻尾に任せることにした。こうして蛇は長いこと後ろ向きに歩くこととなった。尻尾は意気揚々 と進んで行った。そして高い断崖の縁へとやって来ると、頭もろとも宙を舞った。そして、両者共に下の岸辺に激しく打ちつけられた。
  その後、頭は、尻尾に先頭に立ちたいと言われて、うんざりさせられることは二度となかった。

Pe362(バブリオス34)『蛇の尻尾と体』 Ch288 TMI.J461.1.1


泰西名著文庫 国民文庫刊行会
プルターク英雄伝 第四巻 
アギス伝
寔(げ)に社会には寓言中の蛇のやうの事が往々にして起り得(う)べき者である。嘗て蛇の尾が其頭に逆つて起(た)ち、余は何時(いつ)も後(しりへ)に 従はしめられるとて、之を一大毀害(きがい)でもある者の如く、大いに苦情を鳴らし、今より交(かは)る替(がは)る先頭(さき)に立たんことを主張し た。斯(か)く尾が先頭(さき)に立つや、忽ち其狂妄な進路を取りて、無数の毀害を己に加へた。而(さう)して頭(かしら)は自然に反して、聾瞽(ろう こ)なる嚮導(きやうだう)に従ふた結果、劈(つんざ)かれ、傷(きずつ)いた、斯く世上幾多の人々は、殊に政治家たる者は、無智蒙昧なる民衆の妄想に駆 られて進退するので、到頭停止する能はず、唯困頓迷惑するのみである。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950215/297


類話

イソップ寓話集 (ペリー版) 中務哲郎 訳 岩波文庫
Pe321(Ba40)『川を渡る駱駝』 
 瘤ある駱駝が流れの速い川を渡りながら、糞をたれた。そいつが自分より前を流れ行くのを見て言うには、
「俺も落ちぶれたものだ。後のものに先を越された」
Ch144


タウンゼント70『腹とその他の部分』
 ある日のこと、手と足と口と目が、腹に反旗を翻してこう言った。
「君はいつもなにもしないで怠けてばかり、……贅沢三昧、好き放題!……我々は、君の為に働
くのは、もう、うんざりだ……!」
 身体の各部分たちは、このように、日頃の鬱憤をぶちまけると、それ以後、腹の助けをするの
を拒んだ。しかし、すぐに、身体全体がやせ衰えていった。

 手と足と口と目は自分たちの愚かさを後悔したが、時すでに遅かった。

Pe130 Ch159  Cax3.16 イソポ1.21 伊曽保2.36 Hou29 Laf3.2 昔話インデックス1175 TMI.J461.1 A1391 (Aesop)
イソップ寓話の世界 中務哲郎 ちくま新書 p120~p129

冗談とまじめ ヨハネス・パウリ 名古屋初期新高ドイツ語研究会訳 同学社
冗談とまじめ399『口と手足が互いに不仲になったこと』
 ある時胃と口が両手両足相手にけんかをして、口と胃が食べ物全部を独り占めした。そのことに手足が腹を立てて、口と胃に食べ物を与えようとしなかった。 こんなことを数日やっていると、手足はやせ衰えた。手足はようやく自分たちの間違いに気づいて、再び口と胃に食べ物を与えた。それで事態もよくなった。


イソップ寓話集 (ペリー版) 中務哲郎 訳 岩波文庫
Pe461(ディオン・クリュソストモス「弁論」33.16)『目と口』
 君たちはイソップの話にある目と同じようなことになったな。目は自分たちが一番偉いと思っているのに、口がいろんなものを貰い、とりわけ甘さ抜群の蜜を 味わうのを見た。そこで目は腹をたて、人間に苦情を述べたが、目の中に蜜を注ぎこんでもらったところ、刺すような痛みに涙がこぼれ、蜜とはピリピリとした 不快なものだと思ったのだ。
 だから君たちも、目が蜜を求めたように、哲学からの言葉を味わおうと求めてはならない。そんなことをしたら刺すような痛みに耐えがたくなり、こんなもの は哲学ではなく、有害な悪口だと言うことであろう。


変身物語13.125『オデュッセウスの主張』
変身物語13.365
 きみの右手は戦いには役に立つ。が、頭のほうは、わたしが適当に舵をとらねばならないのだ。きみには力があるが、分別を伴っていない。しかし、わたしに は、未来への配慮がある。きみは戦いの能力を持ってはいるが、その戦いの時期を選ぶのは、わたしとアガメムノンの合議によっている。きみはからだだけで役 立っているが、わたしは精神で役立っている。船の舵をあやつる者が単なる漕ぎ手よりもすぐれ、将軍が兵卒よりも偉大であるのと同じだけ、わたしは君よりも すぐれているのだ。われわれの人体においても、頭は腕よりもすぐれ、われわれの活動力のすべては頭に発しているのだ。


旧約聖書申命記28.43
あなたの中に寄留する者は徐々にあなたをしのぐようになり、あなたは次第に低落する。彼があなたに貸すことはあっても、あなたが彼に貸すことはない。彼は あなたの頭となり、あなたはその尾となる。

デカメロン05.03
かつては世界の頭であったように、今日では尻尾に廻っているローマの都に・・・・


ト ルストイの印度寓話対照表
トルストイの アーズブカ対照表
トルストイの アリとハト対照表